奈良県十津川村の古道

〜中沼了三先生が京都から十津川村までたどった道〜

中沼了三(1816〜1896) 幕末〜明治にかけての儒学者・思想家。現在の隠岐の島町中村出身。

明治維新をささえた思想
中沼は文化13年(1816)隠岐郡周吉郡中村(旧西郷町中村)に生まれた。二十歳で京都に上洛すると
山崎安斎学派の鈴木遺音の門下に入り、鈴木の没後は烏丸竹屋町に私塾をひらいた。
その門人には薩摩の西郷従道(隆盛の弟)・土佐の
中岡慎太郎らがおり、中沼が彼ら維新志士に与えた
思想的影響は大きい。
中沼の思想は慶応四年(1868)に起きた
隠岐騒動(隠岐維新)の理論的根幹にもなった。
中沼の評判は幕末の動乱の中、新時代を目指す者
たちの間で高まっていった。

(右は中沼了三の肖像画で隠岐の島町郡
  旧五箇村にある隠岐郷土館提供)
天皇家からの信頼と新政府からの嫌疑 京都での晩年
 元治元年(1864)には孝明天皇の命により現在の
奈良県十津川村に文武館をひらいた。
明治維新後は東京へ移り明治天皇の
待講になるなど、天皇家からの信頼は厚く、
高い名声を得ていた。しかし新政府の
幹部である三条実美らとの思想の違いや、
政府要人の暗殺事件の嫌疑をかけられたことで
官位の返上を余儀なくされ、東京を去った。

 京都に帰った後も新政府から嫌疑を
かけられることはあったが、
中沼の本質を知る者からの信頼が
なくなることはなかった。
明治29年(1896)浄土寺村の自邸において
81歳の生涯を閉じた。村民は故人の遺徳をしのび、
鹿ヶ谷の安楽寺に手厚く葬った。