隠岐天然白島アラメに対しての想い!!

 皆が笑顔で手を取り合う白島アラメでありたい。

 隠岐の島最北のきれいな海、白島海岸沿岸で採れたアラメです。
アラメを採り続けて40年の大西のおじさんです。息子さんは潜ってアラメを採っています。
白島アラメは冬の日本海の荒波にもまれて2月頃から育ち、春頃が軟らかく旬のアラメとなります。
主にこの時期のアラメを中心に採取し、おばちゃんが長年の業で加工製造しています。
 加工にあたってもすべてが手作業です。最終段階の煮付けでは、火力を保つ為に、
隠岐の松の木で火を起こしてています。水は地下からの名水を使用しています。
大西さんが作り上げた白島アラメはどこにもない、ただ一つのアラメだと思います。

 私が学生の頃、私の店で働いていた中村の恭志さんの運転する車に乗って、
アラメを取りに行った記憶がかすかに残っています。
大西のおばさんから、武田さんとアラメの取引をするようになったのは、恭志さんのおかげだよー
恭志さんに感謝せんといけんよーと。恭志さんが大西さんのお宅で飲んだ時に、武田と大西さんの
アラメの取引が成立したそうです。それから大西さんとのお付き合いを続けさせていただいています。
恭志さんは現在、隠岐の島の島前、西ノ島で旅館業の若旦那?として元気に頑張っています。

 昭和63年に私は家業を継ぐ為に隠岐に帰って来ました。恭志さんからバトンタッチで、
祖父母が立ち上げた店を継いでいます。

 隠岐最北の白島海岸沿岸でアラメ漁をしている大西さん一家。大西さんの住まいは、
アラメ魚場からすぐ近くにある西村に住んでいます。
私は生まれて今まで、アラメ漁の現場は勿論、店で販売しているアラメが出来るまでの
工程など全く知りませんでした。知ろうともしませんでした。

 そして昨年ぐらいから大西のおばさんに、
アラメを採っている所の写真を撮らせてもらう様にお願いするようになりました。
ただ海が時化てたり、都合が悪かったりでなかなか実現しませんでした。
それが今年の5月に行った際におばちゃんから、丁度良かった今からアラメの採っている所の写真とる?と
何故かその日はカメラ持っていました。
おじさんが箱メガネを見てアラメを採っている姿を見て、とっても感動しました。あーこうして採っているのだと。
実際の採っている所、姿を見て、いいものだなぁーと。
それから以前に無かったアラメに対しての親近感みたいなものも湧いてきたりしました。

 その後色々な素晴らしいご縁が。
店の先行きが不安で、隠岐の島町商工会に相談に行きました。N岡さんO村さんY田さんI田さん
なんか皆さんが机に向きあって、少数より沢山の指導員の意見があった方がいいと、ちょっと圧倒されつつ。
その中で、東京の良品工房さんにアラメをモニタリングしてみたらどうだろうかという話になりました。
主婦の皆さん50人中70%の人が買いたいと思えば、1年間いいものとして認定され、
販路拡大に大いに役に立つそうです。
正直無理かなと思っていましたが失うものは何も無いし駄目で、もとという気持で受けてみました。
結果は誰も予想しなかった38人の方がもう一度買ってみたいでした。
その中でモニタリングしていただいた皆さんから、調理方法などで様々な声が。
とってもびっくりさせられ、とっても参考になりました。

 それから商工会のO村さんの大きく、前向きで、元気いっぱいの力により、
様々な出会いをいただきました。その一つ、商工会と良品工房さんのええもん塾にも参加させていただき、
とってもとっても背中を押され、アラメについて、もっともっと知り、元気をいただきました。
アラメのパッケージの作成が遅れていますが、もう少しで新パッケージも完成する予定です。
どこにもないアラメ。隠岐天然白島アラメです。販売価格につきましては、以前の自分でしたら、
この価格は高いと思うと思います。
でも大西さんからアラメ漁〜製造過程を見せていただいたら、その労力知ったら、納得です。
良品工房さんでのモニタリングしていただいた方々の賛同。その後の皆さんの話も聞き、納得です。

そしてなにより、大西さんのアラメはどこにもないアラメだと。

 現在隠岐の島で、アラメの製造をしている家は年々減って来ています。
見させていただき、かなり大変な作業だと思います。今後隠岐のアラメも認知していただき、色々な面で、
生産者〜卸業者〜販売者〜消費者が納得し、笑顔になるアラメでありたいと思います。

 始ったばかりです。まだまだこれからだと思います。
今後とも隠岐天然白島アラメをよろしくお願します。

平成18年11月11日