隠岐に役行者さんの像が!!

隠岐の島町港町・和合院(元真言宗のお寺)・隠岐島後新四国八十八箇所霊場・第5番札所


役行者・・634年に奈良県葛城上郡近くで生まれた。

役行者・正確には、幼名は小角(おづぬ)といった。役小角は、
全国各地の山々を修行され、仏法を説き修験道の基礎を開かれた。

小さな像です。前方には、おともの前鬼・後鬼が・・

和合院の跡地・15年前頃には、ここに小さな古びた
屋敷(お寺)があったと記憶しています・・

草が生えてて敷地は荒れてました・・

私の家から500mぐいの小高い丘に和合院がありました。もうお寺の跡もなく(私が高校の頃にはありました・)
平成17年9月に久し振りに行ってみたら、修験道(山伏)の開祖と崇められている、役行者さんの小さな像があり、
びっくりしました!! 年代はそんなに古くはないかと? ここの前の住職さんがどこからか手に入れたものなのか??

明治以前の昔は、ここから左に小道があり、山があり、(今は山も削られ、川になっているが・・)その先は
東郷の宮田から、隠岐国の大将・佐々木氏が1580年頃に、隠岐国府を移したとされている国府尾山(こうのうさん)
別名・城山さんがある。
説の一つで、大満寺のお寺は以前、布施側にあったが、国府を移したこの頃に、今の南側に移したとされている。
国府尾さんから見ると、鬼門の北東の方角(丑寅)に大満寺がある。
1667年に書かれた、隠岐の歴史書で最も古く信憑性があるといわれている、隠州視聴合記によると、
かなり以前に、隠岐国の大将であった人が大満寺、大峯山を格別に信心して、ご祈祷を
かかさず続けたと言い伝えてられている。

その大将とは、国府尾さんの城主(佐々木氏)だったのか、こうのうさん以前の宮田の城主(佐々木氏)
だったのか、いずれにしても、隠岐の霊山を崇めていたのだと・・・