金峯山

            隠岐の島町の西郷港から見て左側にどんとたたずんでいます。隠岐最高峰608mの大満寺山の門番のような山です。
(右側の門番には愛宕山が・)金峯山の高さは198mです。
隠岐では・きんぶさんと呼ばれています。


対岸から金峯山を望む・昔はここ宇屋村から舟に乗って渡っていた。約8町(800m)

津井(さい)から金峯山を望む。

津井から大満寺山を望む。

頂上・今は金峰神社となっている。

祠・・無残に開いていた・・修復をしないと・・・

石の残骸・・いつからなのか・・
小学校の遠足以来・30年振りに登ってみました。頂上は少し荒れ気味で、祠もご覧の通り木の扉が開いていました。

隠州視聴合記  1668年      
津居村の箇所
一、津口を出ル左りの山下に姫島あり山を鷹サイ(たかさい)と云う。近き年まで○○○・・ここの表現分からない・・
人曰く津居の上なる故を以って高津居とゆう、其山に次て
一山峯の秀たるを金峯山と号す。
絶頂松数株あり、東面に古木多し、西北にはなし、
古老の○に曰く、昔此の山に一宇の御堂あり、彼の賊徒乱入の時、佛像の金色なるを見て
寺を焼き僧を殺し、佛を取て去是より、寺も絶けりなり
14年以前にヤ人ありて古地を○松根の苔を○て
石肩を見る有是をれば石○あり長き○計り○て見は三寸の牛角の如きなる物あり、小鏡の古きに佛像をえり付
其角に○○村人集て曰く如何さま此は
金剛蔵王の古物ならん。
徒を捨去るべからずと云て小社(ほこら)を造り此を納め西の海辺を吹上と云、崎より此をもって立木と云、山の西面
に津居村あり・・・

東郷村の箇所
一、東郷は内海の南濱なり、濱に浦松と云人家あり去〜五町分りニメ三面皆山なり小水流レテ里の中を
  通り田園に○けり北は大満寺につづき、道○奥○宮と云、有木村に出ル○路もあり、是を樋通山(ひとよりやま)
  と云、小村とも分れて左右の山下に住居せり里の長を高梨と云。其○に曰く、
  昔平氏亡ひて後、嶋中守りなし、盗賊し○起る故に、里長が遠○鎌(かまくら)に詣り守護を請所○入道
  其をして守たらしむ其時にや、僧五人を下して五山に擬して五○に居らしむ
  
その第一を金峯山と云、 ニは津居の蓮華寺三は飯田の泉養寺
  
四は聖腰(ひじりがごし)と号して大久里に越る東郷の山なり、
  
第五は同じく松尾と云処なり、又富国の守護する時、風波の難を治しとて
  
大満寺、大峯、ニ山を常に祭れリ
  この第五の松尾は○大峯を祭り○○・・○○・・その境を隔て立けると云○皆鎌倉入道か時に置たると○○・・
  祠僧房多して十社十寺と号して山上山下に数多在ける又山跡(もと)に浦宮と云あり・・・


上記読みづらいかと思います。この隠州視聴合記のあと、1688年に増補隠州記が出されています。
隠州視聴合記の補足的な書物です。
先日、隠岐の歴史の勉強会で偶然にも、地元の神社の宮司さんから、現代語に直された書をいただきました。
こちらが分かりやすいかと思います。

増補隠州記  貞亨五年(1688年)
   <宇屋村>   公文 武兵衛     年寄  四郎左衛門
一、座王権現
   当所から南々東の方角に海を八町ほど渡った金峯山という山の峰にほこらがある。
   
吉野の金峯山を移して座王権現をまつったものである。ここに石の箱がある。その箱は 
   四尺四方で深さ一尺ばかりである。秘物であると言い伝えて、はっきりと見た人はいない。 
   或る説によると、昔いつの時代であったか、五山を設けて、国家の安全を祈ることをした。
   その第一が金峯山だと言う。弐は津井の蓮華寺、三は飯田の泉養寺、四は聖腰(ひじりがごし)と呼んで、
   東郷の石神の奥、犬来へ越える山である。第五は西村の松尾という所である。
   昔はこの
松尾という所に寺を建てて大峯山をまつったと言っている。
   
以前には隠岐の国の大将であった人が大満寺、大峯を格別に信心して、御祈祷をかかさず続けたと言い
   伝えている。或る説には、第五松尾山という所は犬来村に古い跡があると言う。
   


西側・古い石が沢山あった。

西側の竹林・薄暗い・・


遥か昔ここに御堂があったのだろうか?

東郷から金峯山を望む。

小田から・中央の中腹から下が竹林のある所。

隠岐国神社秘録(明治2〜3年・廃佛稀釈後の記録)

嶋後神社巡察日記 上から
朝五ッ時目貫出立、宇屋へ参り矢尾に着、矢尾、目貫両村の廃佛取調、・・・
金峯山座王ノ社の棟札取寄一見、神たい彩色の仏像、怒れるかたにて、青面金剛といかものに似たり・・・

嶋後神社巡察日記 中から
役行者、小祠、右社ノ左傍ニ在、神たいなし、・・・この地は釜村で金峯山から近くにある。

八幡社、右所から西に五丁許、高き山上ニあり、白島を眼前ニ見下ろして、風景よき所也、
小ノ大社ニて、神たいなし、亨保五年の棟札あり、
小祠、右社から下りて、人家ノ傍ニ在、棟札ニ
金剛蔵王権現とあり、伊平次持也、

両嶋神社再調○書  明治六年
周吉郡宇屋町
摂社  
金峯山
此社村持ナレモ神たい棟札共ナク
格別ノ原由緒モナケレハ御廃シ可然奉存候

隠岐国神社御改正帳
摂社  金峯山      宇屋町金峯山
                旧号 金峯山蔵王権現

釜  森社  末社
役行者祠  此祠仏ナル○○○近年ノ勧請ナレハ可廃ハ勿論ト奉存、