十津川へ行ってきます

十津川村へ! 思い出特集! 平成16年11月訪問のページから!


奈良県立十津川高校・隠岐出身の中沼了三先生が
1864年に来郷・文武館の創業に力をつくしました。
玄関前の銅像は

十津川出身の浦武助先生。大正時代に校舎が全焼の際、先生は終始存続再興に精根を傾けました。先生は文武館中興の祖と称せられています。

十津川です。かつては都から遠い所から、
遠津川或いは遠都川と呼ばれていました。

十津川は対岸を渡る為に大小様々な、
吊橋がかけられています。


和歌山の熊野本宮大社までは、車ですぐの所にあります。

玉置神社入り口。標高1千m付近に鎮座している玉置神社はすぐです。

参堂端にある枕状熔岩。海底に噴出した玄武岩の
固まりで、第一級の標本だと。

参堂端には千年〜三千年の巨杉群が。千メートル級の
高山に杉の巨木が多数! かなり圧倒されます!!

玉置山は修験道の十番目の行場として、遥か昔から山伏の往来が盛んであった。熊野三山の奥の院としても知られていた

大峯奥駈参詣道。山伏修行の道として跋渉していた、現在も修行道として生き続けている。手前は熊野まで、後ろは吉野まで続いている山道。この道は昨年世界遺産に登録されました。

玉置山頂上1076m。この山は古くから聖地として知られていた。(大峯奥駈参詣道の中にあります)    

折立の文武館創設跡地・折立中学校地内。文武館はこの地にあった松雲寺において、中沼了三先生によって開館された。

後醍醐天皇の第三皇子大塔宮護良親王は、難を逃れて1333年十津川郷に身を潜めました。その後後醍醐天皇が隠岐を脱出し倒幕の軍を起こしいわゆる建武の中興を成し遂げました。

上野地にある、谷瀬のつり橋。長さ297m・高さ54mと日本一長い吊橋。かなり恐いです。
過去二度トライしてだめだった・・今度は渡るぞ・・・


平成17年11月19日山々を越えて再び十津川村を訪れます。今度は、遥か昔から様々な人々が、様々な志をもって
歩いた道・くまの道を歩く予定です。ご案内人は、十津川村の松み先生です。
松み先生曰く・・
紀伊山地に住む十津川郷の人々が幕末、明治維新で活躍できたのは、熊野道が存在したからです。
熊野道は、熊野参詣道の中でも古い道の一つだと私は考えています。しかし世界遺産になれなかったのは、明治22年の
十津川大洪水があったとき、この道はかなりの部分で崩れ去ったからです。
しかし私は復活出来る道と考えております!!