いざ!十津川・隠岐 夢街道マラニック

11月18日 勇者達が十津川街道を行きます!!


77km十津川高校がゴールです!!
奈良県立十津川高校・隠岐出身の中沼了三先生が
1864年に来郷・文武館の創業に力をつくしました。
玄関前の銅像は

十津川出身の浦武助先生。大正時代に校舎が
全焼の際、先生は終始存続再興に精根を傾けました。
浦武先生は文武館中興の祖と称せられています。

十津川です。かつては都から遠い所から、
遠津川或いは遠都川と呼ばれていました。
十津川は対岸を渡る為に大小様々な、
吊橋がかけられています。


和歌山の熊野本宮大社までは、車ですぐの所にあります。

玉置神社入り口。標高1千m付近に鎮座している玉置神社はすぐです。

参堂端にある枕状熔岩。海底に噴出した玄武岩の
固まりで、第一級の標本だと。

参堂端には千年〜三千年の巨杉群が。千メートル級の
高山に杉の巨木が多数! かなり圧倒されます!!

玉置山は修験道の十番目の行場として、遥か昔から山伏の往来が盛んであった。熊野三山の奥の院としても知られていた

大峯奥駈参詣道。山伏修行の道として跋渉していた、現在も修行道として生き続けている。手前は熊野まで、後ろは吉野まで続いている山道。この道は昨年世界遺産に登録されました。

玉置山頂上1076m。この山は古くから聖地として知られていた。(大峯奥駈参詣道の中にあります)    

折立の文武館創設跡地・折立中学校地内。
文武館はこの地にあった松雲寺において
中沼了三先生によって開館された。

マラニック75km地点

後醍醐天皇の第三皇子大塔宮護良親王は、難を逃れて1333年十津川郷に身を潜めました。その後後醍醐天皇が隠岐を脱出し倒幕の軍を起こしいわゆる建武の中興を成し遂げました。

上野地にある、谷瀬のつり橋。長さ297m・高さ54mと
日本一長い吊橋。かなり恐いです。
過去三度トライしてだめだった・・
今回は渡らないと進めない・・
45k地点

 いよいよ十津川・隠岐夢街道マラニックです。個人的には三年連続十津川訪問です。しかも11月の同じ時期です。
ただ過去2回とは違った訪問。自分の足で訪問するという考えてもみなかった荒業・・
一昨年十津川高校の先生方が隠岐を訪れた際に、いつか中沼了三先生が訪れた十津川でマラニックをしたいと自己紹介を。
ちょっとうそめいた?実現するとは半信半疑でしたが、縁とは不思議なもので、今夏十津川の下野先生始め十津川の先生方が
隠岐にお越しになりました。その時にランナーが二名いまして、一気に話が進みました。
自分達だけではどうする事も出来なかったと思いますが、十津川のランナーの方の大きな力により実現の運びとなりました。
歴史にうとい自分ですが、司馬遼太郎さんの十津川街道を呼んで夢をふくらませています。数々の歴史の舞台になった一帯かと。
また明治の中頃に五條から着工して半世紀もかかって十津川まで開通した路。
色々感じながらマラニックしたいと思います。
隠岐からは天使さんが参加します。そして米子ののりさん、出雲の平さんもいっしょです。
十津川の皆さんとマラニック出来るのとても楽しみです。
参加者皆でのんびりと十津川高校めざして行ければと思います。