春日神社

布施の山伏マラニックのスタート地点前にあります。

春日神社境内の松は樹高日本一と言われていました。(高さ66m)今では50本ぐらいの松があるかと。〔春日さんの松は天然記念物に指定されています。〕


春日の浜から正面です。正面が拝殿です。

境内の松です。

境内裏手の小宮です。

横から、拝殿と後ろが本殿です。

★竹谷素信氏著・布施の山伏から・・・

 〔明治初めの神社秘録より〕
祭神・・天児屋根命【あめのこやねのみこと】、あとひとつあるとも・・  合祭・・布施山ノ明神
創建・・1556年 (とあるが、もっと古い可能性もある・・ただ調べる由がない・・)

※春日大社(奈良県春日の町)について
 藤原氏の氏神を祭る神社で、境内には神様の使いとされる鹿が目立つ。奈良時代に創建されたと伝えられる。
平安時代、かの藤原道長をはじめ貴族の間で春日詣でが流行し、中世以降は武士や庶民に広まった。
祭神は、第一殿は【タケミカヅチのミコト】第二殿が【フシヌシのミコト】
第三殿が【あめのこやねのミコト】となっている。
あめのこやねのミコトは、祭儀にかかわる司祭者を神格化した神となっている。また、
あめのこやねのミコトの
シンボルは、芸能神の依代(よりしろ:神が依り付く物)である『松』であり、樹神信仰が見られる。


 布施の春日神社の祝司を担当していたのは、ある時期は布施の山伏寺の法印(覚正院・源光院・安楽寺)だったと言われている。

 ※春日神社境内末社・・春日神社の裏手にある小さな社です。
そらの宮
・・〔そら宮の字は下の写真の字を書くかと〕大満寺山にあった布施山ノ明神を合祀したとも言われていて、
        元々この祠が、昔は村の産土神であったようだ。
八幡社・・ 流人の怨霊を鎮めるために立てた宮とも。
子大山・・ 秋葉権現とも言われていて・天狗を祀った宮だと言います。鷲ガ窟とも関わりがあると思われ、そこの天狗窟を
       遥拝する場でありましたが、明治の初めに廃止され、その後、子大山と称して大山神社の遥拝所となっています。
       元は仏式の宮であったと言われています。   
住吉神社・・航海並商業の神。初め荒神さん下の聖域に鎮座してあったが、その隣に山伏寺が建ち、春日神社境内に遷座。
高山明神・・稼神。大工棟梁をした家柄の武田屋持ち、飛騨高山から勧請したもの。
平島神社・・海上守護神。
大浜社・・  大浜社は天狗と関連のある逸話があって、元の家(森田勝太郎)の地主さんに天狗を祀ってあったのをここに遷し
         末社のようになっています。
水神さん・・
下山さん・・
社頭の大杉の樹・・

 ★布施の灘部氏よりお伺いしました・・(説であると・・)
 
 今、岩倉と呼ばれている地域【乳房杉】の前には鳥居などは無かった。(明治45年に神社登録した頃に作ったかと)
ただ杉の木は昔からあり、神木として崇められていた。
大満寺〔乳房杉付近の〕熊野権現【現在は有木地区の神社の中に布施の宮として入っている】
真鎮山王権現社(しんちんさんのうごんげんしゃ)の小宮があったと。
真鎮山王権現社の中に布施山ノ明神が祀られていた
→これは1667年に書かれた隠州視聴合記の中の記述に
延喜格式神名帳(えんききゃくしきしんめいちょう)にじゅんじて、布施山の明神が祀られていたとある。

この真鎮山王権現社の小宮の中に、札が2つあって↑の
そらの宮とあったと・・
その後、真鎮山王権現社は【そらの宮】となり、春日神社に合祭されたのではないかと思います。

そらの宮は布施から見たら、見上げる様な、遥か高く(乳房杉前)にあった。この一帯は山伏の修行の場・神聖な場で
 あったかと、その後布施の里に降ろされて・・春日神社の神主は、布施の山伏が勤めていたとも言われています。

 現在春日神社の裏にある小宮・そらの宮は山伏との関わりがあるかもしれません。(たけさん)

※灘部氏は、春日神社の祭神は【あめこやねのミコト】であるが、実際奈良の春日大社や藤原氏との関わりがあるか
 どうかは分らないと・・祭神が同じではあるが・・・
 又良い悪いは別にして、春日神社の前の拝殿が大きくて、後ろの本殿が小さくて、殆ど見えない。
 これは大正12年に建て替えたからであると・・・
 (また明治の初め頃には神主は西郷のなぎうら神社の神主の松本じゅうろう氏が執り行っていたと・・)

 ●布施の春日にまつわる名前! 布施村誌から・・

 
※春日さんの浜 
  昔は「むけえの浜」と通称されていたと。
 
※春日の浦
  昔は船でしか行けませんでした。とっても綺麗な海でした。昔は砂浜の端にハマナスの自然生があったと。
 今は絶滅したと・・また遠浅の砂浜の中にハマグリがいましたが、これも絶滅したようです。
 昔は「むけえのし」と呼ばれていたと。
 
※春日川
  はじめは「川」と言っていました。村の中ではそれで用が足りましたが、対外的に表す必要があってこの名になりました。
 流れ水は透明で清らかで、川沿いの家では飲用水にしていました。
 
※春日正宗
  造り酒屋の上等酒(特級酒に相当するか)の名。春日神社の裏手に「酒場」があり、その使用米をたくために、
 竹原の川向い水車小屋があり、水は地下渕から水路で導入していた。
 
※春日丸
  布施村廻船業の華やかな時分に船名を春日丸と名付けたのも、春日さんが村の象徴であることから見れば、
 当然のことでありました。長崎方面、瀬戸内海、北国能代まで春日丸と書き込んだ大船が、北前船などの中に伍して
 往来したのは目を見はらせるものがあったと思います。
 
※春日クラブ
  軟式庭球の団体の名で軟式庭球は隠岐の島で最初に布施村で導入され、長期間庭球布施の名を誇っています。