隠岐の不動明王

正木晃先生著 知の教科書 密教より抜粋させていただきました。

正木晃(まさき・あきら)
1953年生まれ、筑波大学大学院博士課程終了、現在、早稲田大学・慶応大学
非常勤講師。専門は宗教学。

不動信仰とは

日本のホトケの中で一番人気のあるのは誰か。
釈迦如来は別格として、観音菩薩と不動明王というのが、
まず妥当なところだろう。観音菩薩は慈悲を象徴する。それに対し
不動明王は霊的な力を象徴する。不思議な事に、不動明王に対する信仰は
ほぼ日本にしかみられない。いわば日本密教に特有の信仰である。
(もちろん不動明王も故郷は他のホトケと同様に古代インドだった。)
ただ奇妙な事にインドでは坐像の不動明王が発見されたという報告はない。

不動明王の日本渡来については、空海が中国から輸入したという見解が
定説となっている。奈良時代には、不動明王のような強烈な怒りの相をしめすホトケは
日本にはいなかった。だから、空海が初めて不動明王をもたらしたとき、
人々はその恐ろしい姿形と圧倒的な機能に驚嘆したにちがいない。
そして、この驚きがこのホトケに対する信仰を大いに鼓舞したことは想像にかたくない。
ところで、空海が輸入した本家の中国では、このホトケに対する信仰はさほど発展しなかった。
逆に日本では、空海以降、不動明王に対する信仰は盛んになるばかりだった。

空海は京都の拠点寺院だった東寺の講堂に、これらのホトケ達をまつった。
現在でもこれらのホトケ達の姿は、目にする事が出来る。中でも、天下国家の守護を
になう五大明王の存在感は圧倒的だ。その中心に坐すのが、不動明王である。
なにしろ大日如来の化身という位置づけだから、その地位はひときわ高い。

では、これほどまでに不動明王に対する信仰が盛んになった背景は、何だったのか。
一つは、日本在来の「荒ぶる神」あるいは「荒御霊」(あらみたま)が不動明王に重ね合わされた
ゆえではないか。つまり、縄文時代以来日本人の心身の内外にあった「荒ぶる神」や「荒御霊」が
不動明王という存在の中に、初めて格好の表現様式を見いだしたのではないか。
そして、空海も円珍も、ともに山野を修行の場とし、仏教と神道の両方を行き来する宗教者だったのである。

鎌倉時代の後期、元寇という未曾有の危機に遭遇したとき、日本の支配層の人々は、不動明王に
怨敵退散を祈願した。それほどまでに不動明王への期待は大きかった。

後醍醐天皇による鎌倉幕府滅亡の計画にも、不動明王がかかわっている。
後醍醐天皇が、中宮の出産祈願にかこつけて、じつは幕府滅亡の祈願を、三年の長きにわたって実践させ
その事実を知った鎌倉幕府の要人たちは恐怖に震え上がったという。

明治維新後も、不動明王が敵を滅ぼす正義のホトケという性格をもつがゆえに、
庶民レベルでも、邪悪なるものを討ち滅ぼしうる万能の存在として、信仰は衰えを見せない。
それは慈悲の体現者としての観音信仰とならんで、日本の仏教信仰の中で、
最も根強いといっても過言ではない。付け加えるならば、観音にも不動明王にも
殆ど排他性がない。よほど日本人の心性にあっているにちがいない。